ドライブ=死語
もしかしたら、「ドライブ」というこの言葉自体、既に死語であるのかもしれない。だって、一家に二台だって珍しくもない現代において、自動車を運転することは、少しも特別な体験ではないはずだから。
運転は、日常的な動作で、自動車は移動の手段に過ぎない。よろしい。了解した。ドライブは死んだ。リトル・レッド・コルベットも、ビュイック・マッケーンも死んだ。
死語にはなっていなくても、「ドライブ」は、もはや、「夢」や、「異世界」のイメージを宿したロマンチックな言葉ではない。ただの四文字言葉だ。
うんうん、この感覚、正しいよね。
とはいえ、「ドライブ?え、死語ですよね、それ」なんて言い辛いのが、クルマのテレビスポットに頼り切ってる、総合広告代理店の(小さな)社会模様。
いや、わからないけどね。言ったことないから。