anemog and the City

共働きOLの、「あれも、これも。どこででも」。

loach... loach??

「どじょうはどじょうの持ち味があります。金魚にはなれません」と、自らを泥臭いどじょうに例えた野田氏の演説もクローズアップされた。「どじょう政治」は煎じ詰めれば「実務に励むというスピリッツ」だということで、この野田内閣には「務実精神」という中国語がキーワードとして与えられた。

「いかに民意を汲むか」が政治の核心的課題とされる中国では、リーダーの善し悪しを直感的に判断する基準を、「市民目線の有無」に置くようになった。そういう意味では、中国には「どじょう政治」を標榜する野田新政権を好意的に扱うメディアもある。

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確か、「どじょう(loach)」はイギリスか何かのメディアでは否定的に捉えられやすかったイメージのコトバ。というか、あんまり日常的に聞くコトバではないので、イメージが湧かないのか?



キヤノングローバル戦略研究所のコラムで、この「どじょう」発言の欧米での報じられ方についてまとめられていたので、貼り付けちゃえ。




この発言を報道するのに海外の新聞はかなり難渋したらしい。たとえば、ワシントン・ポスト紙は「どじょう」の英語訳である「loach」の後に、「魅力のない(unattractive)、水の底でえさを取る魚」という説明を加えている。ニューヨーク・タイムズ紙もこれに近いが、「水の底でえさを取るうなぎのような魚で、ひげがある」としている。
 英語の新聞がそのような説明を加えるのは、そもそも「loach」は、英米人が日常的に、あるいは身近に見かけるものではなく、その言葉に馴じみがないからである。私は、試みに二、三の英米人に直接確かめてみたが、いずれもそのような言葉は知らない、という返事であった。
 したがって英字紙の報道が追加説明をしたのはよく分かるが、それでも残念ながら、日本語の「どじょう」の意味は正しく伝わっていない。
 「どじょう」にはそれが指し示す魚自体だけでなく、一定の雰囲気がこもっている。それは日本人が生活の中で体得することであり、たんなる言葉の意味を超えるので正確に表現するのは容易でないが、「親近感」、「大衆性」、「泥臭さ」、「田舎」などの感じが含まれている。さらに一種の「愛嬌」もあるかもしれない。
 しかるに、英字紙の「魅力のない、水の底でえさを取る魚」ではそのような雰囲気は伝わってこない。ロイター電は各国の英字紙がよくキャリーする世界に冠たる素晴らしい通信社であるが、その追加説明は「inhabitant of the deep」である。これは「深いところに住むもの」、あるいは「水底に住むもの」という意味かもしれない。

記事全文はコチラ:「どじょう」発言−キヤノングローバル戦略研究所