anemog and the City

あれも、これも。どこででも。

・・・と思う。

ついでに言っておくと、あの郵政公社のCMは、あれはちょっと神経に触った。

 ポイントは、「贈り物だと思う」の「思う」だ。

 「年賀状は贈り物です」と潔く断言していないところに、卑怯な感じがある。

 おそらく、CM制作者は、「年賀状は贈り物です」と、まっすぐに言い切って、それが押しつけがましく響いてしまうことを恐れたのだと思う。で、「思う」という、個人の見解であるかのような語尾を付加した。これは、郵政公社の公式見解ではなくて、あくまでも櫻井クン個人のプライベートな思いですのでよろしくね(はあと)ぐらい。婉曲化。自信を欠いた表現者が陥る墓穴だ。構造としては、ニキビ治療のクリームや、発毛実感(←「発毛」それ自体でなく、「発毛実感」という一歩引いた感想をアピールすることで薬事法をスルーせんとしている)を喧伝する商品のCMフィルムが、画面の片隅に「※個人の感想です」というエクスキューズをあらかじめ表示している手法と似ていなくもない。って、ちょっと違うかな、これは。

 でも、「救うのは地球だと思う」という、家電メーカーの広告キャッチとは似ている。通底する思想のようなものがある。

 会議室に集まった面々は、自分たちの主張が偉そうである旨を自覚している。「救うのは地球です」と言い切ってしまったら、モロに上から目線のお説教になる、と彼らはそう考えている。だから、「思う」と、女優さんの個人的な人徳に依拠する文体を採用した。なんというのか、目のつけどころがフラットだよね。いかにも。

コンカツを考えた時点で勝ちはない


いや、記事自体はあまり上記の趣旨と関係ないんだけどね。


ああ、そう思うんだ。

言われてみれば、わかるねぇ。


でも、この「・・・と思う。」手法はよく打合せで出てくるなぁ。

共感を呼びたいんだけど、押し付けたくない。

押し付けと思われるのが怖い(とクライアントに言われて競合プレゼンに負けるのが怖い)という理由で、なんだかんだでプレゼンの最終案に近いところまで残ったりする。






「・・・と思う。」とすると、何だかコピーっぽく見えるので、打合せに持っていく自分も悪い。と思う。